ヌルめのつぶやきでタグ「行動分析学」が付けられているもの

インフル休校の高校生が遊びに出るのは当然だろJK

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・・・・だと思うんだけどなぁ。
話題がちょっと古くてごめんね。下書きして眠らせてしまったもんで。


痛いニュース(ノ∀`):【新型インフル】 「家ではやることない」 休校の高校生らカラオケボックスに列、店長は困惑
※GENOウイルスチェッカーは通しときました。

インフルエンザで休校になった高校生が暇だからカラオケに行く
    ↓
カラオケ店の店長は困惑。
    ↓
ネットでは高校生バカじゃねーの?という叩き。

この流れを見て「非は高校生にばかりあるわけじゃないんじゃね?説」を唱えてみる。

単純な疑問として、そもそも適切なマネジメントはされていたの?と思ったりしたわけです。

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こんなの休校にする前から目に見えてることじゃない?
自分が学生だったら、どうしてた?

適切な指導があった上で、それでも守らない高校生はバカ呼ばわりされてもいいのかもしれないけど、その前にまずは、親や学校、大人の指導責任についてはあまり語られてない。
一部の店は追い返してるらしいけど「困惑」とか言いながらも入店を許してる店も少なくないんでしょ?

めんどくさいので頭の中でしか行動分析しないけど、明らかにカラオケに行くのは即時性があって確実な好子になりうるだろうし、逆に家に居て退屈することは嫌子になりうる。
この件の行動随伴性から考えれば高校生が出歩く・遊び歩くという行動をとるのは至極当然な気がする。

それを意識した上で行動を制御してやる必要があったんじゃないのかしら。
これってほかでもない、大人の責任の範囲だと思うんだけどな。

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この場合、家にいることに好子を見出すのはかなり厳しいだろうから、普通は薦められていないけど「嫌子を使ったマネジメント」でもよかったんじゃないかと思う。
派生の原理が起こる可能性にしたって、そもそも学校や教師がすでに嫌子化してる可能性だって低くはないし、そこはある種の割り切りで・・・大量に課題を出して勉強せざるをえない状況に追い込むとか、休み明けに試験をしてダメだったら追試験にするとか、かなり厳しくてもよかったんじゃないだろうか。

結果、それが本人にも、学校にも、地域にもプラスになったんじゃないかと思うのだけど、考えが浅いだろうか?


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「危機感がない」とか「考えが足りない」とか、果ては「バカだから」なんて言うが、行動分析学ではそれを「個人攻撃の罠」と呼ぶ。

問題を解決するために、そんな抽象的なものを責めるのではなく、あくまで「行動」に注目し、その行動自体や行動の質をどう変えたいのか、変えるにはどうしたらいいのか、というのを考えるほうがよっぽど建設的ってなもんです。今回の場合は「外出」という行動をどうやって制御するか、だね。

俺だって別に行動分析学のプロフェッショナルじゃないし、結局、同じ系統の本を数冊(厳密には5冊)読んで、多少そういう視点で人や、人の行動を見れるようになっただけの話。コストにして2万円にはも満たないし、時間にしたって空き時間を使って全文を読破する読み方でも全部読むのに1ヶ月もあれば読めるだろうし。

行動分析学の知識がある事が当然だとは言わないけど、人を動かそうと思うのなら人を動かすための知識を身につける努力をするってのは当然だと思うんだよね。

目的を達成するための方法論なだけなんだから、それは別に心理学でも、交流分析でも、行動経済学でも何でもいいんだけどさ。これは自分に合いそうなもの、効果が期待できそうなもの、応用が利きそうなものなんかを適当に選べばいい。

勉強もせずにうまくいかない><って、ただ違和感を感じるばかり。

文字を書くのだって、まずは薄く書かれた「あ」の文字を上からなぞるところから始めたでしょ。できないことは勉強しなきゃ。練習しなきゃ。

そうしたら、少なくともしないよりは、うまく人を動かせるし、人を理解できるよ。きっと。


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ちなみにタイトルのJKは「常識的に考えて」の略。ネットの「一部」で使われますね。ご存知の方もいるかもしれません。一般的には「JKは女子高校生の略」なので、高校生の部分にかけてるわけですね。えぇ、ダジャレですが何か?反省はしていません( ^ω^)。
さらに自分でツッコんでおくと、

行動分析学の知識がある事が当然だとは言わないけど
と言いながらもこのタイトル。実は「常識的に考えて」じゃなく、しいて言うなら「専門的に考えて」になるわけですが、まったく気にしません。どちらかと言うと、ただ言いたかっただけなので ←

「うちの母ちゃん凄いぞ」 クズ子で学ぶ人の育て方

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書きかけのタイトルで中身も何も空というエントリーを一瞬公開・・・という致命的なミスを犯したクズ夫こと、ませうです。←
RSSで拾った方もいるだろうし、PINGも一部飛んだだろうなw いやはや失礼した。


さて、何を書きたかったのかというと、クズ夫ではなくクズ子の話。
先日某所で見かけた2ちゃんねるまとめブログにあった、とあるスレについてです。

うちの母ちゃん凄いぞ
うちの母ちゃん凄いぞ2 ~ニート風雲篇~
うちの母ちゃん凄いぞ3 ~マグロ女激闘篇~
うちの母ちゃん凄いぞ4 ~飛翔篇~
うちの母ちゃん凄いぞ 完結 ~社員か否か迷走篇~

うちの母ちゃん凄いぞ まとめWiki

以下、ネタバレも含む。


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クズ子のクズ子たる由縁は、そのクズ人間っぷり(笑)なわけだけど、このエピソードの中にはマネジメントという観点から学ぶべき部分、気にかけてみてもいい部分というのが多分に含まれている・・・ような気がしないでもない(笑)

話に出てくる「クズ子の母ちゃん」と「トレーナー」が非常ーに優秀で、この二人のエピソードを見る限り、この話が安っぽい創作や妄想だけで書けるものではないというのがよく分かる。 場所が2ちゃんねるだったこともあり、「信じる信じないは読み手の自由」的な部分はあるだろうけど、俺には実話としか思えない。そうでなければ説明がつかない。(よほどマネジメントに精通した人が仕掛けた壮大な釣り、という事なら納得するが。)

あ、ちなみにクズクズと呼でるがあくまで愛称であって、クズだとは思ってないし、むしろ俺はクズ子に好感を持っていることだけは誤解なきよう、最初に書いておこう(笑)

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諸々の事情で中卒ニートだった彼女はあることがキッカケでバイトを始めるのだが、まぁスレ中でクズ子なんて名前になっているぐらいなので、バイトにのぞむ姿勢からして酷いクズっぷりを発揮してくれる。

クズ子が始めようとしたのはチェーンの寿司店でのバイトなのだが、その動機も「まかないで寿司が食える」という理由だし、バイト初日は9時に来るようにと言われたのを、「たぶん起きれないし昼ぐらいに行けばいいか」と前日の時点で考えていたり、まぁとにかく酷い。

酷いのだがこのクズ子、やる気も何もない中卒ニートだったのに、徐々に成長を見せ、最後はしっかり正社員にまでなり、バイト代を毎月使うという浪費癖も直って貯金できるようになるなど、まぁかなりの成長を見せてくれる。

その過程においてキーマンだったのが「クズ子の母ちゃん」と「バイト先のトレーナー」という二人の導き手の存在。
「人からの評価」と「金」に対して非常に貪欲だったクズ子の性格を見抜いて、うまくクズ子を導き、育てたのだ。


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この、性格を見抜く、という部分だが、クズ子に限った話ではなく人を動かす際には気にかけたい部分だと思った

見抜く・・・言い換えればその人をよく観察するということ。プログラム化された指導方法をただ適用したり、プログラム化までいかなくとも、つい一律の指導をしたり・・・なんてことは、ビジネスの現場では良くあることだろうから、案外、盲点だと言える。きっとこれができないと本当に人を育てることはできないのだと思う。

では何を見抜くのか。

その対象が、何を動機に行動しているか、という点はどうだろうか。


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人の行動は「確実に、そしてすぐ得られるメリット」の影響を非常に強く受ける。
まずはこれを知らないといけない。

行動分析学的に言えば「即時性があり」「確実で」「ポジティブな結果」をもたらす事象だ。
禁煙やダイエットによって、「ポジティブな結果」が得られると頭で分かっていても、それが持続しないのは「即時性がなく」「不確実」だからだ。

人生経験を重ねると人は色々な視点を持つことができるようになり、「ここでこうしておけば、将来的にこう繋がる」といった、ある意味で打算的に考え、行動をコントロールできる部分もでてくる。

けれど、あえて括った言い方をするが、いわゆる「若者」にとってそれは難しい。人生経験が豊かなわけではない彼らは、もっと欲求に忠実だし、もっと直情的に動く。 だからこそ、「メリットが確実に得られるのか」「得られるタイミングがいつなのか」という部分が非常に重要な問題になってくる。


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つまり、クズ子の例で言えば、「手に職がついて将来の為になるよ!」なんてことを言ってもクズ子は動かない。
「これができたらえんがわの寿司をまかないにしよう!」と言ったからクズ子はタコやイカに負けず「握り」という技術を体得できたのだ。

バカバカしいと思うかもしれないが、そういうことなのだ。

【適切なインセンティブの提示と、付与】 といい変えれば分かりやすいだろうか。
これがクズ子のように「すぐ折れる」「やる気もそれほどない」子が握りの練習を継続できた理由ひとつなのだと思う。

人が何を動機に行動を起こすのか、何を動機に行動を持続するのか・・・そこに着目することは人や組織をマネジメントする場合においては欠くことのできない視点だと言える。そして、その視点に基づいたインセンティブの提示と付与を行う。

「仕事なんだからやって当たり前」などと切り捨てて、考えることをやめてしまっては動くものも動かないし、育つものも育たない、というわけだ。

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だだ、念のため、ここで一応「やって当たり前」が通用した時代があったことは認めておかないといけない。

そのうえで、これからはこれからで、その時代の人材に合わせたやり方も考えないといけないだろう、という意味で方法論のひとつとして、こうした行動分析学を元にしたマネジメント方法に触れていきたい。


いわゆる「ゆとり世代」などと呼ばれ、まるで「一律使えない世代」であるかのように言われてしまう彼ら、彼女ら。

いかにして育てるのかは、どこの企業にとっても重要な課題だろう。最近では不況というタイミングも相まって、中途採用に人気が集まっているという話も聞くが、ずっと中途採用だけでいくというわけにもいかないだろう。

「使えない」と諦めてしまわず、今だからこそ、「人を育てる」というのがどういう事なのかを、考え直してみてもいいのかもしれない。


あれ?ホントは行動分析の話ぐらいまでのつもりだったけど結構脱線したな。まぁいいや。

ということで、本ブログは全ゆとり世代を応援しています!←

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気が向いたらまた他の視点でも、クズ子の話に触れてみたいっすね。段階的な目標達成について、とか。
クズ子のはなしが例として優れているのはクズ子の性格が非常にシンプルでわかりやすいから。だから問題をシンプルに見せてくれるし、解決法もシンプルに見える。でも案外それが、本質だったりするのかな、とかね。

素人にも分かるかもしれない「承認」とサービスの関係

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何度か書いてますが「承認」についてまた書いてみたくなったので書きます。今まで書いたものと被る部分もあるかもしれないけど、まとめ的な意味も含めつつ、そして今回は、「どう書いたら予備知識がない人にも伝わるか」とひとつの基準に書いてみる。



行動分析学・行動原理の本を読む中で特に気になっている「承認」というキーワード。

どうにもこの「承認」というのをモノサシに色々なものを見ると、かなりのことが1本の線に繋がってみえるような気がする。マイブームだからですかね?
ひいき目なしでも応用範囲は広いと思うけど。


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行動分析における承認とはある行動を強化する(もっとその行動を増やす)ために踏むステップのひとつ。
存在や行為や結果を「認める」ことを指し、それぞれ「存在承認」「行為承認」「結果承認」と言う。結果を認めることがあえて3つ目にあるように、必ずしも認める=褒めることに直結するわけではない。

●存在承認
もっとも頻度が高いが一度あたりの効果は低め。挨拶する、会釈する、声をかける、名前を呼ぶ、任せる、相談する、誘う・・・など、その人との接点自体を指す。これによって、「対象者の存在自体を認めること」になる。残業している人に対して、お疲れ様と直接声をかけることも存在の承認。

●行為承認
結果がなくとも、好ましい行為を起こしたこと自体をまず認める承認。よりよい結果を導くための中間ステップとしての承認と言える。これを欠いて結果承認だけに頼ると承認の頻度が減るし、結果が出ないときには望ましい行動を強化するための承認ポイントがなくなる。

●結果承認
行動により好ましい結果が出た際に与えられる承認。たとえば実績をあげることで表彰される、だとか、インセンティブが出る、だとか結構直接的な「ご褒美」や「賛辞」だったりする。あ
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まず考えるべき点のひとつとして、「この3つの承認行動を使い分けていますか?」という点。例えば、ビジネスにおいては上司の「承認」の使い方次第で、ES(従業員満足度)にかなり開きが出てしまう。

これをふまえて以下の記事を読んでみて欲しい。いままでとはちょっと違った見方ができないだろうか?

そのひと言に救われた...エンジニアが癒された瞬間


特に注目すべきは、
「どんなものでも、差し入れはうれしい!」
「たったひと言でモチベーションが違います」
のあたり。

「存在承認」や「行為承認」にあたる事に気付かないだろうか?どうやら、人の気持ちを動かすのに必要な「承認量」というのは、「たったこれだけ」らしいのです。「たったこれだけ」なのに不足しているらしいのです。

かなり噛み砕いていうと、人が行動を起こしたことを「そういうもの」だとか「それが普通」で済ませないことには、ある種の価値がある、と。

それは多くの人が承認というものを意識して使い分けていないからこそ生まれた価値なのだと思う。供給が少ないから価値が上がっちゃうんですね。



予備知識としてこれぐらいあれば、以下のあたりも多少はピンとくるようになると思う。
これらを呼んでから、さらに読み進めて欲しい。

承認を勝ち取るコスト

承認欲求って昔から政治権力や宗教の源泉だよ




長くなったけど、ここまでがだいたい前置き・必要最低限の予備知識的な部分。

俺の夢は喪黒福造になることです

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ココロのスキマを埋める的な意味で。
移動時間が長かったのでぼーっと考えてました。


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日本における「承認」の需要は、これからもどんどん高まると思う。

潜在的な供給不足に対して、サービスとしてどんなアプローチができるだろう?

うまい供給ができれば絶対にお金に変えられるし、小さな幸せを感じられる人は増えるはず。

やるならWebがいいのか、リアルがいいのか...
結局は手段だからどっちでもいいだけに、選択肢は広いよなぁ。


幸いにも(?)、最小レベルの承認欲求は、予め知識がない限りはきっと本人も無意識だろう。

だからこそ、それが承認欲求を満たしてくれるものだと意識せずに使えるサービスにする事で、自然な流れが作れそうな気がする。

WinWinWinというか、三方よしというか。
誰も損しないし、みんな少なからず幸せ!?


それはそうと「幸せ」って言葉にすると、胡散臭さく感じる不思議。俺だけ?
個人的にはあんまり使いたくない言葉だなぁ。

自分で幸せって言っちゃう人にちょっと抵抗あるのかも。←完全に偏見だけど。

「承認すること」の重要性

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最近は技術系の本よりも、行動分析学とか、行動原理とかマネジメント寄りの本を読んでたりします。

で、何冊か読んでる中でも特に重要だと感じたのが「承認」

承認ってのは、ある行動を強化
する(もっとその行動を増やす)ために踏むステップのひとつなのだけど、存在や行為や結果を「認める」ことを指す。それぞれ存在承認、行為承認、結果承認と言うのだけど、これはそのまま3段階の「レベル」でもある。結果を認めることが3つ目にあるように、必ずしも認める=褒めることに直結するわけではない。

存在承認はもっとも頻度が高いが一度あたりの効果は低め。挨拶する、会釈する、声をかける、名前を呼ぶ、任せる、相談する、誘う・・・など、その人との接点自体を指すようだ。これによって、対象者の存在自体を認めることになる。
行為承認は結果がなくとも、好ましい行為を起こしたこと自体をまず認める承認。よりよい結果を導くための中間ステップとしての承認と言える。これを欠いて結果承認だけに頼ると承認の頻度が減るし、結果が出ないときには望ましい行動を強化するための承認ポイントがなくなる。
結果承認は行動により好ましい結果が出た際に与えられる承認。たとえば実績をあげることで表彰される、だとか、インセンティブが出る、だとか結構直接的な「ご褒美」や「賛辞」だったりする。

承認によって行動が強化されるということは、逆に承認しないことによる行動の弱化(行動の頻度が減ったり行動しなくなったり)も起こる。
プラスに使うと、この好ましくない行動が起こった際にそれを潰す一つの方法として「無視」=「承認を一切行わない」という方法が考えられる。これは常にマイナスに働く可能性をはらんでいて、どんなにすばらしい行動だとしてもそれが、無視される、反応がない、反応までの時間が長いなど適切な承認が行われないために行動の弱化が起こる。人間は承認されないことを嫌うのだ。


で、ここであげた一つ目、存在承認ってのはどうも人間特有のものらしいのだ。牙も爪も角も毒も持たなかった人間が生き残る術のひとつが、他者との協力関係だった。だから人間は潜在的に周囲に認められること=承認されることを重要視するし、ステータスの一つとして考える。逆に承認されないことを嫌い、恐れ、無視され続けることで生きる価値を感じられなくなったりもする。

この「承認」のことを知っているだけでも、日常を新たな視点で捉えられる気がする。

たとえば・・・

1.SNSにおける承認。
SNSにおける存在承認と行為承認。これは日記を書くという行動に対する「コメント」や「あしあと」がそれにあたるのではないかと考える。そういった承認が与えられることで、日記を書くという行動が強化される。
読む人がいなければ、はたまた無視され続けたら、誰しもきっと日記なんて書かなくなるんじゃないだろうか。

アクティブユーザーが多いSNSを作るには、きっと自動的に他者の存在を承認してしまうような仕組みが設けられているSNSなんじゃないかな。あしあとも一種のソレだと思う。コメントだけじゃなくても、閲覧数や、Web拍手みたいな仕組みがあるだけでも違うんじゃないだろうか。SNS内の行動をいちいち承認する仕組みというのは機能拡張する際のひとつのポイントじゃないかな。


2.恋愛における承認。
恋愛においても「存在承認」ってのは、結構重要なんじゃないだろうか?無条件に、いつでも存在承認を与えてくれる相手が現れたら・・・承認されることを「無意識に意識」している人間という生き物はすごく喜んでしまうのではないだろうか?
常に得られる存在承認から、安心感を覚え、自分が認められるその場所を居場所として認識し、はたまた言い換えれば愛を感じるのではないだろうか。それが恋愛感情の要素の一つなのではないかと思った。

そしてこの無償の承認という行動も、それに対する相手からの承認によって強化や弱化が起こりうるのではないかと思った。つまり、相手に認められ、それを自分も認めることで永久機関となりうるが、片方が承認をサボろうものなら、愛(=無償の承認)はなくなってしまうんじゃないか、と(笑)



そんなわけで、ダラダラ書いたわけですが、人間は存在に気付いてもらうだけでも喜んじゃう生き物らしい、という(ある意味でイヤらしい)法則に気付くと、「承認」をテクニックとして活用する場が具体的に見えてくる気がします。

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