ヌルめのつぶやきでタグ「承認欲求」が付けられているもの

素人にも分かるかもしれない「承認」とサービスの関係

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何度か書いてますが「承認」についてまた書いてみたくなったので書きます。今まで書いたものと被る部分もあるかもしれないけど、まとめ的な意味も含めつつ、そして今回は、「どう書いたら予備知識がない人にも伝わるか」とひとつの基準に書いてみる。



行動分析学・行動原理の本を読む中で特に気になっている「承認」というキーワード。

どうにもこの「承認」というのをモノサシに色々なものを見ると、かなりのことが1本の線に繋がってみえるような気がする。マイブームだからですかね?
ひいき目なしでも応用範囲は広いと思うけど。


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行動分析における承認とはある行動を強化する(もっとその行動を増やす)ために踏むステップのひとつ。
存在や行為や結果を「認める」ことを指し、それぞれ「存在承認」「行為承認」「結果承認」と言う。結果を認めることがあえて3つ目にあるように、必ずしも認める=褒めることに直結するわけではない。

●存在承認
もっとも頻度が高いが一度あたりの効果は低め。挨拶する、会釈する、声をかける、名前を呼ぶ、任せる、相談する、誘う・・・など、その人との接点自体を指す。これによって、「対象者の存在自体を認めること」になる。残業している人に対して、お疲れ様と直接声をかけることも存在の承認。

●行為承認
結果がなくとも、好ましい行為を起こしたこと自体をまず認める承認。よりよい結果を導くための中間ステップとしての承認と言える。これを欠いて結果承認だけに頼ると承認の頻度が減るし、結果が出ないときには望ましい行動を強化するための承認ポイントがなくなる。

●結果承認
行動により好ましい結果が出た際に与えられる承認。たとえば実績をあげることで表彰される、だとか、インセンティブが出る、だとか結構直接的な「ご褒美」や「賛辞」だったりする。あ
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まず考えるべき点のひとつとして、「この3つの承認行動を使い分けていますか?」という点。例えば、ビジネスにおいては上司の「承認」の使い方次第で、ES(従業員満足度)にかなり開きが出てしまう。

これをふまえて以下の記事を読んでみて欲しい。いままでとはちょっと違った見方ができないだろうか?

そのひと言に救われた...エンジニアが癒された瞬間


特に注目すべきは、
「どんなものでも、差し入れはうれしい!」
「たったひと言でモチベーションが違います」
のあたり。

「存在承認」や「行為承認」にあたる事に気付かないだろうか?どうやら、人の気持ちを動かすのに必要な「承認量」というのは、「たったこれだけ」らしいのです。「たったこれだけ」なのに不足しているらしいのです。

かなり噛み砕いていうと、人が行動を起こしたことを「そういうもの」だとか「それが普通」で済ませないことには、ある種の価値がある、と。

それは多くの人が承認というものを意識して使い分けていないからこそ生まれた価値なのだと思う。供給が少ないから価値が上がっちゃうんですね。



予備知識としてこれぐらいあれば、以下のあたりも多少はピンとくるようになると思う。
これらを呼んでから、さらに読み進めて欲しい。

承認を勝ち取るコスト

承認欲求って昔から政治権力や宗教の源泉だよ




長くなったけど、ここまでがだいたい前置き・必要最低限の予備知識的な部分。

俺の夢は喪黒福造になることです

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ココロのスキマを埋める的な意味で。
移動時間が長かったのでぼーっと考えてました。


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日本における「承認」の需要は、これからもどんどん高まると思う。

潜在的な供給不足に対して、サービスとしてどんなアプローチができるだろう?

うまい供給ができれば絶対にお金に変えられるし、小さな幸せを感じられる人は増えるはず。

やるならWebがいいのか、リアルがいいのか...
結局は手段だからどっちでもいいだけに、選択肢は広いよなぁ。


幸いにも(?)、最小レベルの承認欲求は、予め知識がない限りはきっと本人も無意識だろう。

だからこそ、それが承認欲求を満たしてくれるものだと意識せずに使えるサービスにする事で、自然な流れが作れそうな気がする。

WinWinWinというか、三方よしというか。
誰も損しないし、みんな少なからず幸せ!?


それはそうと「幸せ」って言葉にすると、胡散臭さく感じる不思議。俺だけ?
個人的にはあんまり使いたくない言葉だなぁ。

自分で幸せって言っちゃう人にちょっと抵抗あるのかも。←完全に偏見だけど。

「承認すること」の重要性

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最近は技術系の本よりも、行動分析学とか、行動原理とかマネジメント寄りの本を読んでたりします。

で、何冊か読んでる中でも特に重要だと感じたのが「承認」

承認ってのは、ある行動を強化
する(もっとその行動を増やす)ために踏むステップのひとつなのだけど、存在や行為や結果を「認める」ことを指す。それぞれ存在承認、行為承認、結果承認と言うのだけど、これはそのまま3段階の「レベル」でもある。結果を認めることが3つ目にあるように、必ずしも認める=褒めることに直結するわけではない。

存在承認はもっとも頻度が高いが一度あたりの効果は低め。挨拶する、会釈する、声をかける、名前を呼ぶ、任せる、相談する、誘う・・・など、その人との接点自体を指すようだ。これによって、対象者の存在自体を認めることになる。
行為承認は結果がなくとも、好ましい行為を起こしたこと自体をまず認める承認。よりよい結果を導くための中間ステップとしての承認と言える。これを欠いて結果承認だけに頼ると承認の頻度が減るし、結果が出ないときには望ましい行動を強化するための承認ポイントがなくなる。
結果承認は行動により好ましい結果が出た際に与えられる承認。たとえば実績をあげることで表彰される、だとか、インセンティブが出る、だとか結構直接的な「ご褒美」や「賛辞」だったりする。

承認によって行動が強化されるということは、逆に承認しないことによる行動の弱化(行動の頻度が減ったり行動しなくなったり)も起こる。
プラスに使うと、この好ましくない行動が起こった際にそれを潰す一つの方法として「無視」=「承認を一切行わない」という方法が考えられる。これは常にマイナスに働く可能性をはらんでいて、どんなにすばらしい行動だとしてもそれが、無視される、反応がない、反応までの時間が長いなど適切な承認が行われないために行動の弱化が起こる。人間は承認されないことを嫌うのだ。


で、ここであげた一つ目、存在承認ってのはどうも人間特有のものらしいのだ。牙も爪も角も毒も持たなかった人間が生き残る術のひとつが、他者との協力関係だった。だから人間は潜在的に周囲に認められること=承認されることを重要視するし、ステータスの一つとして考える。逆に承認されないことを嫌い、恐れ、無視され続けることで生きる価値を感じられなくなったりもする。

この「承認」のことを知っているだけでも、日常を新たな視点で捉えられる気がする。

たとえば・・・

1.SNSにおける承認。
SNSにおける存在承認と行為承認。これは日記を書くという行動に対する「コメント」や「あしあと」がそれにあたるのではないかと考える。そういった承認が与えられることで、日記を書くという行動が強化される。
読む人がいなければ、はたまた無視され続けたら、誰しもきっと日記なんて書かなくなるんじゃないだろうか。

アクティブユーザーが多いSNSを作るには、きっと自動的に他者の存在を承認してしまうような仕組みが設けられているSNSなんじゃないかな。あしあとも一種のソレだと思う。コメントだけじゃなくても、閲覧数や、Web拍手みたいな仕組みがあるだけでも違うんじゃないだろうか。SNS内の行動をいちいち承認する仕組みというのは機能拡張する際のひとつのポイントじゃないかな。


2.恋愛における承認。
恋愛においても「存在承認」ってのは、結構重要なんじゃないだろうか?無条件に、いつでも存在承認を与えてくれる相手が現れたら・・・承認されることを「無意識に意識」している人間という生き物はすごく喜んでしまうのではないだろうか?
常に得られる存在承認から、安心感を覚え、自分が認められるその場所を居場所として認識し、はたまた言い換えれば愛を感じるのではないだろうか。それが恋愛感情の要素の一つなのではないかと思った。

そしてこの無償の承認という行動も、それに対する相手からの承認によって強化や弱化が起こりうるのではないかと思った。つまり、相手に認められ、それを自分も認めることで永久機関となりうるが、片方が承認をサボろうものなら、愛(=無償の承認)はなくなってしまうんじゃないか、と(笑)



そんなわけで、ダラダラ書いたわけですが、人間は存在に気付いてもらうだけでも喜んじゃう生き物らしい、という(ある意味でイヤらしい)法則に気付くと、「承認」をテクニックとして活用する場が具体的に見えてくる気がします。

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